旧中根家墓地

福田村の領主であった旗本中根家の墓地です。壱岐守正盛(いきのかみまさもり)のときに福田村は中根家領となりました。正盛は、三代将軍徳川家光の「御側(おそば)」でした。「御側」=「側衆」とは、江戸幕府の職名で、四代家綱の時に牧野佐渡守親成(まきのさどのかみちかしげ)ほか四名を任命したことに始まると言われていますが、すでに三代家光のときに正盛を「御側」としていることから、正盛がその始まりとも言われています。主な職務は、将軍と幕閣との取次役、諸大名の監察、評定所への出座のほかに、『徳川実紀』によると徳川御三家や諸大名、日光山への使いや京への上洛を命じられており、正盛が「御側」として非常に重要な職務を担っていたことが分かります。正盛の子正朝(まさとも)が弟正章を分家した時、福田村は正章の所領になりました。常泉寺境内には正章の子正賀(まさよし)、正章の弟茂正(しげまさ)ら五基の墓碑が並んでいます。