戦争体験記「記憶」〜第1章「戦争被害」
沖縄激戦地の悲劇
野崎 やす子
体験記録−1

 日米戦争の主戦場となった沖縄県の陸上戦の苛酷さは生き地獄であった。
 昭和十九年、のどかな島、沖縄県に日本軍隊十万余の兵力が駐屯するようになった。県民の働ける男子は防衛隊、女子は挺身隊として動員された。村々の駐屯部隊の指揮下で兵隊を地下にもぐらす為の地下壕掘り作業に従事した。
 昭和20年3月、米艦載機千数百機とB29が翼を連ねて猛攻撃の弾雨を繰り返した。
 住民は防空壕ですさまじい爆撃轟音におびえる暮らしが始まった。4月、遂に米軍は制空権を握り読谷飛行場に上陸した。連日連夜、陸・海・空から飛び散る砲弾の中、地軸を揺がす50屯爆弾が壕の至近に落下したときの恐怖には一家全滅かと抱き合っておののいた。村の家々は焼きつきて死者が続出した。屍を葬る余裕もなかった。食糧や水の調達もままならず一日一食、ローソクを頼りに暗い不潔な壕内の生活は衣服にシラミが湧いて悩まされた。そんな極限状態にみんながひたすら友軍の勝利の戦果を祈りつづけた。
 5月下旬、駐屯部隊の重砲陣地は低空飛行のグラマン機の集中攻撃を浴びて兵器の重砲は全滅した。兵隊は戦うには兵器はなく、敵陣斬り込み作戦決行の情報に私は非常に落胆した。出撃組の兵隊は戦友との決別の言葉「奇跡に依って生きて帰れたら又逢う」握手を交わす悲壮な情景に女子挺身隊は目をうるませて見送った。
 戦況は緊迫し、部隊と共に南端の摩文仁へ撤退する事になった。雨の降りしきる夜、艦砲弾の炸裂音のはげしい中を行軍の道すがら屍が照明弾に照らされていた。陸軍病院から撤退中の傷病兵は這いつくばって苦しげに進む、生きる希みを無くしてうつ伏している群集、今にもわが死を覚悟で行軍をつづけた。そこかしこから助けを求めている悲鳴を尻目に、助けてあげる心の余裕はなかった。私たちは夜中に焼け残った農家で大至急に炊事を開始、たくさんおにぎりを作り終わったちょうどその時、敵機襲来にがくぜんとする。壕に逃げ込むのがやっとであった。兵隊におにぎり一個すらも配給できずにとてもくやしかった。兵隊は飢えと緊迫した戦況に殺気立った。壕を捜し求めてうろつく住民に、作戦の邪魔になるとか果てはスパイと疑われて,壕に入る事を拒否された。ひもじいなあ、水が欲しいなあ、と耐えながら私たちは岩陰で弾におびえた日が何日か経った。天然洞窟の軍の病院に入れたときの九死に一生を得た安堵感は格別であった。
 6月23日、総司令官牛島満中将自決の情報に騒然となり、やがて陰うつになった。
傷病兵に自決用の手榴弾が手渡された。余りにもだしぬけの事態に発狂状態になる者や黙り伏す兵士たちの言いようのない雰囲気に私は途方に暮れた。米軍艦が無数に浮ぶ摩文仁海岸があるだけ、逃げ場のない島故の悲しさにうろたえた。生き残りたい一心に敗残兵と共に北部方面へ脱出の敵中突破の冒険に挑戦した。闇夜の突進中に敵戦車隊の列に迷い込んで又がく然とした。幸いにも日本軍の洞穴壕を見つけた。救いを求めた所、隊長らしい兵隊さんの承諾の即答はうれしかった。同隊では馬乗り攻撃戦(※注1)で殆どの兵力を失ったばかりであった。兵士たちは無言で重苦しく円座していて、手榴弾が無造作に置かれていた。
 S大尉はたった一言「ご苦労であった。」と、若い兵士たちの命を惜しむ様な痛恨の言葉に私は自決を意識し観念した。壕の外は今までと打って変わってうそのような静かさで朝日が輝いていた。久しく太陽の光りを見ていないせいもあって何となく仲間3人が壕の入口を1歩出ると、そこには米兵が小銃を肩にかけて立っていた。すかさず銃を向けられ狙撃された。とたんに新垣千代子さん(22才)がアッーアーと叫び胸から血を吹き出し七転八倒してもがき苦しんだ。妹の新垣マサ子さん(20才)は頭を撃たれて、ウーウーとうなっただけで即死した。私は足のヒザ貫通弾の負傷でうずくまった。あたり一面血に染まった。S大尉は足に止血帯をして下さった。苦しみ続けている千代子さんには手当ての術もなく、大尉の拳銃一発に依って安らかになった。「友だちを撃った事を恨まないで欲しい、あなたは自決してはいけないよ。」と言い残した直後に、S大尉は兵隊全員と共に自決した。屍の中に一人残った私はどの様に死ねばよいのか、ひと思いに死にたい、そんな事ばかり考えていた所、米軍救急隊に収用された。米軍人のヒューマニティは驚きだった。つい今まで殺されるのではないか、なぶりものにされるのでは、とそんな恐怖をつのられていたのである。私は足をひきずって歩いた。一木一草もない槌に屍だけがころがっている周りの情景は正視に耐えない残酷さ、争う人間の無慈悲さに慟哭した。父も兄も戦死した。母との再会は10か月振りであった。失意の母との悲しい淋しい星条旗の下での不安な生活が始まった。世界中から戦争をなくして、平和な世の中をつくることこそが散華した貴き命の鎮魂のためなのである。

注1 馬乗り攻撃
自然洞窟にたてこもる日本軍に対して米軍が行った攻撃方法。入口から火炎放射器、爆弾などを使い、中の人間を全滅させる攻撃。



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