戦争体験記「記憶」〜第3章「軍隊」
「戦地沖縄での思い出のメロディ」
三上政雄
体験記録−12

 昭和19年7月金沢師団は東満国境から沖縄島南部に移動し、私の所属する富山連隊の連隊砲小隊は糸満町隣の大里村の丘陵で陣地構築。11月の或る日、東風平小学校講堂で物資集積作業中の私達兵士の間に、どこからか流行歌、国民歌謡、軍歌と異なる清冽な哀感のこもったレコードのメロディが流れて来ました。厳しい戦況下のこの地での思いがけない体験は、乾いた私の心に琴線に触れて忘れられないものを残しました。
 12月末師団はフィリピン派兵のため台湾に移動したが、米軍のフィリピン上陸作戦と同時であり、北部の新竹州に駐留し、私の所属する連隊砲中隊は山中の構築陣地で終戦。翌年1月復員で故郷富山市に戻った頃、ラジオ放送で沖縄でのあのメロディが耳に入り、悲しい事柄の歌の作曲であることを知ったが、その内容も曲名も知りませんでした。後日このメロディに讃美歌のような響くものがあることを不思議に思いました。
 4月化学工場に就職、転勤で横浜生活6年余、定年の翌53年8月に富山を望む小田急江の島線沿線の現在地に移住。翌年1月に宮内寒弥氏著「七里ケ浜」を読んで、若人遭難追悼歌「七里ケ浜の哀歌(真白き富士の根)」の作詞は三角錫子氏、あの忘れられないメロディの作曲は米国人ガードン氏の聖歌から作詞者がしようしたことを知り、台湾で銃爆撃から命を拾った体験を持つ一連の運命の中でのあの秘められた感動がよみがえりました。
 しかし今、このメロディに沖縄戦の予感を訴える心情が隠されていたのだろうか、そうだったのであればレコードをかけた人の悲しみを読みとっていないことを知らされます。
 上記に重なり思い当たる事柄が浮んできましたが、それは私が影響をうけた賀川豊彦師という人物にかかわることです。師は世界国家、協同組合、宇宙目的論の構想を持ち活動した異色の宗教家でした。沖縄に5回訪れておられ、4回目の記録の抜粋を記します。
「賀川先生が15年2月沖縄県立第一高女の講堂で女子師範生と他の3つの高女の役1,500人の女学生達の為に講演される前、沖縄の照屋寛範牧師によって"おヽ海洋の子沖縄よ"という先生の長い詩を琉球語で朗詠せしめられた。先生も泣き、並み居る来賓も生徒達もすすり泣いたのである」「万座毛という、実に雄大な景勝の地・・・先生はそこで果てしない南の海面をじっと見つめて泣いていられた。『君、沖縄は可哀相だよ、沖縄の運命を思うと僕は悲しくなるよ、場合によったら非道いことになるね』と言われた」「『今に日本は非道い目に遭うよ』と訴える如く目に涙をたたえておっしゃったことであった」<田中芳三氏編著「神はわが牧者」・同行者升崎外彦牧師追悼文より>
 この時の詩と講演を聞いた女子師範生が、4年9ヶ月後、東風平小学校講堂で私の耳に入ったあのレコードをかけた女教師だったのではなかろうかと思うようになりました。
今年(平成7年)2月23日と3月1日の読売新聞の"「真白き富士の根原曲はイギリス民謡・フェリス女学院図書館事務室長が調査"との記事中に、"明治唱歌第5集で「真白き富士の根」の元歌とされる「夢の外」(大和田建樹作詞)の原曲はこれまで米国のガードンの作品「WHEN WE ARRIVE AT HOME(帰郷の喜び)」とされていたが、「夢の外」の原曲は英国民謡で、米国の作曲家ジェレミー・インガルスが19世紀初めに編さんした讃美歌集「クリスチャン・ハーモニー」の中に、
「GARDEN(讃美歌)」の曲名で紹介されている。ガードンは、曲名「GARDEN」
とスペルが同じで、いつの間にか曲名が作曲者名にすり替わり、そのまま紹介されたのではないか。インガルスは民謡などを数々讃美歌にアレンジしていた。"とあります。
事務室長、手代木俊一氏提供資料の讃美歌「WHEN WE ARRIVE ATHOME"GARDEN"・JEREMIAH INGALLS」の第一節に、「The Lord into His garden comes」とあり、私は、これが心の故郷としての「The Garden
(ガードン)of Eden」(エデンの園)を指しているのだと受け取ります。
 音楽研究家小島美子教授の昨年のNHK教育テレビでの講義、著作におけるテーマ「音楽からみた日本人」に、"日本の伝統音階には、基本的には民謡音階、沖縄音階,律音階、都節音階の4種類があるが、律音階・・・世界的にも多いので、はっきりとどこにつながるとはいいにくいが、この要素がおそらくもっとも日本の民族のベースにあるものである。問題はもっともベーシックな律音階とその変種がどこから入ってきたかということだが、これらの音階は分布域が広く、この要素だけでは今のところはきめられないのが悩みの種である。日本人が親しみを覚えるスコットランド民謡と、日本の雅楽とに律音階の存在の共通点がある。"とあります。前記の新説と双方の旋律的相関から思いもよらぬ展開が加わり、前半の戦争を通した体験経緯につづく一連の心の深層のつながりを覚えます。
 私の故郷の立山から小さく見えた富士を大きく望む大和市に移住して知ったあの旋律の歴史。あの女教師が悲惨な沖縄戦の中からいかなる運命の道を辿られたのかと遠い日を切に思う。英国民謡と日本の雅楽に共通し心を打つ律音階の源流を追い求め、苦難の深い人生での彼方の山の緑に憧れる志向が結ばれる平和に通じるメッセージを聴きたいと願う。



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