戦争体験記「記憶」〜第3章「軍隊」
「香港攻略の思い出」
荻窪福海
体験記録−16

 私は昭和14年1月4日、厳寒の中現在の大和駅で荻窪家と部落の方々に日の丸の波と歓呼の声に送られた。私は横須賀重砲連隊第一中隊の第1班に入隊。軍隊生活は厳しく、中隊長は海老沢中尉、班長が宮崎軍曹でした。そうした生活の中、夏も過ぎ秋の富士の大演習も過ぎて2年兵となり、私は89式加農砲(*注1)の牽引車の運転手を命ぜられ砲身車の担当となった。この大砲は15センチ加農砲で砲身が6メートル。砲身と砲架に2つに分割して行動する。陣地侵入してから接続して一つの大砲となる。優秀な秘密大砲で射程距離1万7,800メートルも飛び、命中率がよく、砲手は10人で1中隊に2門あり、香港攻略には4門あった。砲手は迅速機敏に行動した。
 昭和16年6月8日、突如出動命令が出た。15日出動。我々は完全軍備を整え出発。私は最後の日、出発ちょっと前に横須賀駅貨物ホームで兄と別れを惜しみ、共に励まし別れた。一週間後神戸港出発。南支の宝安に上陸した。城壁の中に駐留した。毎日40度位の暑さだった。我々の任務は香港国境警備と南支の中国軍の物資の中断だった。雨の日も風の日も国境警備と猛演習を繰り返していた。道路は全部果てしなく戦車壕の穴で、戦車も通ることができない。日本軍の進軍を阻止するために掘ったものだ。暑い夏も過ぎて香港で一番住み良い冬となった時、突如12月8日の朝、宣戦布告の重大発表が一斉に伝達された。ただちに出動。身も引き締まり心も燃えた。さあ戦争だ急いで準備。昼前に完了。裏の林の下に1中隊2中隊と集合した。中隊長の訓示があり、戦勝を祝す神酒が出た。互いに差し天皇陛下万歳と三唱した。一同の目は輝いていた。出発という号令のもと第一中隊一分隊が一番先頭。私の車は小隊長と私と助手の二等兵の3人のみ、何時も親族の方々の寄せ書きの日章旗が部隊の一番先頭で勇ましく揺れていた。
 進軍中敵機もなく時々友軍機が低空で来て勇ましてくれて、実に嬉しかった。いよいよ国境突破に入り田と川を越えることになった。幸いにして私の車は足がキャタピラの8トン牽引車で馬力があり何かと渡河ができたが、トラックが通れず、私の車で引っ張って夕方に何とか越境できた。いよいよ英国領だ。道は良く、進軍した町はしんとして、感じが悪く思った。
 粉領の十字路に着いた。少し先の草むらに陣地侵入が決まり中心位置に入った。続いて砲架車も侵入、砲手が手早く射撃準備をした。張り切っている。準備完了で中隊長の命令を待ったが一向に出ず、3日目の朝、砂田に進軍した。相当走った砂田の途中、橋は破壊されていた。砂田での陣地の位置が決まった。前の山はトーチカ(*注2)が点々あり。敵は逃げ去り兵はいない。突然私の10メートル位脇で「ドン」と物凄い音がし、軍馬が飛ぶ様に倒れた。「地雷だ」思わず叫んだ。度肝を抜かれた。小隊長も助手も車を降りてしまった。地雷が気になった。
 やがて砲列の位置が決まり私は中心に入った。砲架車も続いた。砲手が飛びつくように準備に夢中。早い、20分位で完了。班長が「射撃準備よし」と小隊長に報告した。その日は飛行機からの射撃距離観測による無線利用射撃を行うため、陣地で「撃て」の命令を今か今かと待つ。出た。零秒右から撃ての命令。4門が一斉に右から撃った。ドンドンと南支の空に鳴り響いた。その時のすさまじさ嬉しさは言葉にできない。射撃は次々と続いた。私は車の整備を済ませた。私は砲手としての特別の訓練を1年兵の時受けているので、砲手の応援をした。耳に綿もつめた。次々と続いている。もう300発位撃った。鼻血が出た兵もいた。もう私も音を聞くのが嫌になったころ「射撃待て」命令が出た。射撃を中止すると驚いた砲身が火のように熱く、継ぎ目が3ミリ位すいていた。400発近く発砲したので、南京袋に水を浸し夢中で冷ました。しかしその後は発砲はなく夜となったが、小銃の音が聞こえた。翌日になり前日より発砲せず終わり、3日目も変わらずだった。夕方に陣地移動で急いで撤去が始まりすぐ完了。出発となり10時頃、九竜の山を下り、ぱっと香港島が目の前に見えた。「あっ」と思った。地獄の様だ。小銃の音、機関銃の音 聞こえた。時々照明弾が打ち上がり、弾丸の曳光が綺麗と言うか地獄の夜の絵巻のようで、驚きながら坂を下った。
 いよいよ市街に突入した。街は真っ暗だった。我々は病院の大きな庭に陣地侵入した。ただちに準備し朝となり射撃を待った。敵は我々に攻撃を始めてドンシルシルと音を立てて陣地の左右に弾着して本当に恐ろしかった。ドンドン撃つが距離は良いが方向が正確でない。常に左右と繰り返していたので、我々は助かった。我々も最後の攻撃で香港島にまた砲撃を開始した。ドンドンと九竜の街の隅々に轟き戦闘が続いたが、22日頃になり砲撃も止まった。24日に弾丸を詰めたままで「待て」。今軍使が戦争中止の交渉中だと言うことで陣地で待った。25日香港陥落となった。そのときの万歳の声が嬉しかった。詰めた弾丸は東の空に祝砲として4発撃った。開戦以来18日で終わった。その後部隊は広東省の縦化作戦(*注3)に参戦し、また新しく編成して、ニューギニアに向ったが、戦果悪く仕方なくラバウルに上陸した時、終戦となった。

注1 加農砲  
注2 トーチカ
コンクリートで堅固に構築して、内に銃火器な砲身の長い大砲どを備えた防除陣地。
注3 縦化作戦
八路軍(中国共産党軍)の一部を一部隊の周辺に集め、自軍全体の戦闘を有利にするための作戦だった。主に敵の攻撃に応戦することが任務。



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