戦争体験記「記憶」〜第2章「戦時中の生活」
「環境と順応支配」
遠藤了一
体験記録−7

 私は旧満州国新京の郊外、四方に地平線を望む草原に囲まれた第二代用官舎の住家で、ある日ふと、自己と生物と太陽と拡大鏡の存在を認識した。好奇心旺盛で放浪癖に富む次男坊である。新聞紙を窓辺に広げ、ルーペに太陽光線を通し黒字の部分を焼き切る、表に出て蟻の行列に焦点を絞る。野原に入り込むと背丈を超える野草、とりわけ赤紫の巨大な花の咲いたアザミの葉に鬼キリギリス、空には巨大な鷲が悠然と飛び交い、恐怖のあまり草むらに平伏し横目で天空を見上げる。しばしば方角を見失い家に帰れず途方に暮れた。
 昭和10年前後、父は仕事で出張が多く、超大型のリュックサックをかついで時折帰宅した。お土産はブリキ製のゼンマイと歯車で動く戦車、コルクダマを撃ち出す大砲や鉄砲、風呂場で遊べ水に潜る潜水艦、絵積木などなど。所詮、積木で家を作り戦車と大砲でぶちこわすイタズラ小僧。夕食はすき焼きの日が多く、ある日半煮えの長ネキを喉につまらせ、ひどい目にあって以来、長ネギは敵となる。夕食後、父はよく写真の現像と引き伸ばしを風呂場の薄赤い電球の下で母とやっていた。写真の人間は黒い綿入りのタンゼンのような服を着て、胸に大きな名札を紐でぶら下げていた。何か恐い人が草原のコーリャン畑の中に隠れているらしい。この頃耳にした言葉は馬賊(*注)、ヒゾク(*注2)、ヒトサライに南京袋、満州国皇帝、ソービレイ、モータクトー、ショオカイセキ(*注3)などであった。
 やがて小学校入学、桜木、順天とわずかな間に転校と引っ越しを体験する。夕食中に引越しの相談をしていたが、当日父は出張でいない、母が怒ってお膳をひっくり返した。すき焼きが畳にひろがった。父は手伝いが来てくれると一生懸命謝った。安達街に面した鉄筋3階建の2階南端が引っ越し先、風呂にたらいを浮かべこれに乗ると窓から景色が一望でき、夏の夕方は真紅に燃える落日が四方の窓ガラスに反射し、全てのものを紅に染め上げていた。小学校の講堂前には戦車と野砲が威風堂々と置かれ、体育館には青竜刀などの戦利品が並べられていた。平和な自然に満ちた新京郊外に住みながらも人と人との争いの姿が漠然と目に浮かぶ。満州補充読本で中国語を習う。
 やがて昭和16年、日本は戦争に突入、父の言動もしだいに厳しくなり、朝起きると出かけるまで軍人勅諭(*注4)を諳んずる日々が続く。私も3年生から剣道に通い始め、雪の降る日の寒稽古は凍結寸前の辛さを味わったが、帰宅時の両親の、笑顔えらいぞ、にほだされた。冬の間は学校と遊びを問わず家に帰ると、母が凍傷寸前の手足の指をタオルで摩擦しもみほぐすのが常だった。やがて小学校5年の春、父の転勤と相まって京城桜丘公立国民学校に転校、校舎の正面には米英撃滅の四文字、新京の小学校とは異なり一段と授業、特に体操武道はしのぎ削る秘めたる競争心を肌に感じた。5年1組転入、担任は岡村先生、大東亜戦争のさなかにあり文武両道に徹した指導に融合していった。昼休み時間は慰問袋(*注5)の作成、戦場からの級友の兄、父親などから届いた便りの紹介が岡村先生からなされ、戦場からの便りは大本営発表以上の発奮の動機となった。夏にはB29が往来し制服を枕元に揃え、闇の中で着替えする日々が続いた。
 そんなある日、父に召集令状がきた。出発前夜近隣の人が集まり、ささやかな夕食会、翌朝父は軍服、長靴、ピストル、軍刀、水筒、地図帳の入った肩掛カバンを武運長久のたすき姿で四つ路を右に消えていった。
 5年生の秋頃から中学入学試験を意識した暗黙の競争意識がクラスに高まった。夜半1〜2時まで算数、国語、理科、歴史の反復復習の日が続く、時折大本営発表に耳を傾けつつ、目指すは中学〜陸軍幼年学校(*注6)である。6年生からは勤労奉仕が始まり、外では松根採集がノルマ化され、黙々と松の切株を掘り起こし、校庭も半分はサツマイモが植えられる。教室では軍服の袖付け、水筒のバンド縫いが続く。
 昭和19年秋中学の面接模擬試験が始まり、緊張の度合いは一段と高まった。翌春、入学試験も終わり合格発表、私も入学準備に取りかかる。制服に半長靴、ゲードル、戦闘帽に校章、背嚢に教科書を入れベルト着用。軍事教練、軍人勅論の暗記、数学は幾何に力が入れられ、実戦に役立つ三角測量から始まり鉄橋の長さ、山の高さの実測は漢江の河原で行った。
 昭和20年7月、馬山の陸軍官舎に引っ越すことになった。転入した馬山一中は山中での勤労奉仕、教室では陸海空軍コースの受験要領の話が多かった。炎天下の作業中水筒の水が切れ、数人で水筒を集め水の調達に山を下り、山裾のせせらぎの水を汲み戻る。日を経ずしてクラスの大半が赤痢で倒れ、私も例外ではなく病床で終戦を知り不覚の日々を送る。

注1  馬賊
清末期から中国東北部に横行した騎馬の盗賊。
注2  ヒゾク
「匪賊」。徒党を組んで出没し、殺人略奪を行う盗賊。
注3  ソービレイ、モータクトー、ショオカイセキ
人名。それぞれ「宋美齢」、「毛沢東」、「蒋介石」
注4  軍人勅諭  
1882年、明治天皇から陸海軍人に与えられたことば。軍隊の精神教育はこれを基礎として行われた。
注5  慰問袋
戦地の兵士を慰めるために日用品、娯楽用品などを入れて送った袋。
注6  陸軍幼年学校
旧日本陸軍の予科士官学校に入学するための学校。旧制中学1〜2年終了者が受験資格者。修業期間は3年。



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