高座海軍工廠と台湾少年工(1)
大和での第二次世界大戦の歴史を語る時に、忘れてならないのが「高座海軍工廠」の存在です。
高座海軍工廠とは
1942年海軍省から神奈川県あて海軍航空兵器製造工場建設の協力要請があり、43年座間市、海老名市にまたがった地に設置されました。この施設では「雷電」をはじめとする海軍の戦闘機を生産しており、計画どおり完成すれば日本最大の機体生産工場になる予定でした。この工場では台湾から動員された12歳から19歳の少年たち約8,000人が働いていました。
当初の計画
30万坪の用地を確保し、工員3万人、年産6,000機という設計のもとに、我が国で最大規模の航空機生産工場の建設が進められた。正式には昭和19年4月に開庁し、局地戦闘機、雷電の本格的な生産にはいったが、戦局の悪化とともに、当初の目的を達成することはできなかった。(展転社発行、「台湾少年工と第二の故郷」より)
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↑相模野駅前の海軍高座工廠と大和駅北西にあった少年工寄宿舎 |
↑当時の相模鉄道線相模野驛 |
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↑工員寄宿舎全景 大和市上草柳に建てられた木造2階建ての工員寄宿舎 |
↑台湾少年工を収容する40棟の寄宿舎 |
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←当時の大和駅 この駅の北西方向に工員寄宿舎があった。 |
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↑高座工廠での飛行機組み立て作業 | ↑高座工廠での飛行機組み立て作業 |
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↑高座工廠で生産された飛行機「雷電」 大きさ:10.8m×9.9m×3.82m 性能 :(高度6000mにおいて)最大時速577.2km 上昇限度11000m 航続距離(時速352kmにて)1845km 1575馬力 武装 :胴7.7mm機銃×2 翼20mm機銃×2 爆弾30kg×2 (三三型は翼20mm機銃×4 爆弾30−60kg×2) 機数 :三菱航空のみ470機 (前衛出版社、「高座海軍工廠 台湾少年工 写真帖」より) |
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高座海軍工廠の役割
台湾からの少年工受け入れ基地であると同時に、国内各地への派遣の基地としての機能をもっていました。
台湾少年工の歴史
太平洋戦争下の日本国内では大量の青年男性が戦場に動員され、極めて深刻な労働力不足に陥っていました。こうした中、航空機生産の拡大と熟練工確保の必要に迫られていた海軍当局は、安定した優秀な労働力を確保するため、「皇民化」が徹底されていた台湾の少年たちに的が絞られ、動員が決定されました。
動員の条件
@労働力の中核部分として12歳から15,6歳までの少年と、彼らを指導し、まとめるために17歳から19歳迄の中学生(旧制)を集めること。 A学習成績の優秀なもの B身体健康なもの
←高座海軍工廠合格児童 1943年(昭和18年)3月
台北市老松国民学校高等科卒業生のうち、高座海軍工廠に入廠が決まった児童が、卒業式当日に撮影したもの。合格証(右=表面、左=裏面)→
1943年(昭和18年)12月
空C廠(のちの高座海軍工廠)の合格証
裏面の入廠心得には、集合場所や携帯品
などが記されている。
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