台 湾 亭

 

 太平洋戦争中、本市の寄宿舎で寝起きし、座間市栗原にあった高座海軍工廠で戦闘機「雷電」の生産に従事していた、台湾出身の元少年工達が工費を出し合い、上草柳のふれあいの森に建設されたもので、1997年10月本市に寄贈されました。
台湾亭 台湾亭
台湾亭


(建物の形状等)
一見、竜宮城の門を思わせる造りで、鉄筋コンクリート製の6角形をしており、高さは基壇部を含めると約10mになる。6本の柱やはり部は朱色、屋根かわらは濃緑色、天井部は黄色に塗られている。

建物の形状
 
(欄間の装飾等)
 6面の欄間には絵柄陶器(1面に16枚)がはめ込まれている。欄間の下部の内外面は色鮮やかな山水・花鳥画で飾られている。また広さは約30屬如⊂欧砲和耋僂慮悗覺儔酸弌覆んのんせき)が使用され、石製の長いすが4基置かれている。
欄間 欄間 欄間
欄間 欄間 欄間
   
石製の長いす 石製の長いす
        
          
床 床
      
                      
(階  段)

 階段には海軍高座工廠のマークが彫られている。     
このマークは碇と前面から見た飛行機とを組み合わせたもので、
バッジ等にされたこのマークをつけている者は、今
でも「高座帰り」と言われ敬われているとのことである。
階段
    
(建設者)
 終戦後に帰国した元少年工でつくる「台湾高座会」(当時約3千人)と日本に残った元少年工の「在日高座会」(当時約40人)


(建設費)
 約2千万円で、両高座会員の寄付で賄われた。
(大 工)
 少年工の小隊長をしていた大工棟梁の葵水浜氏(=当時70歳)と息子の永吉氏  (=当時33歳)親子が中心となり、約4年間(実質1年3ヶ月だが気候やビザの関係で4年間を要した)をかけて完成にこぎつけた。
(建設のきっかけ)
 台湾から少年工が来日してから50年がたつ1993年9月、台湾高座会と日本高座会(在日高座会)の約1200人で50年ぶりの同窓会が開催され、その際に「第2の故郷の地に平和と友好のシンボルを」との話が出たのがきっかけ。
(建設場所)
少年工達の寄宿舎があった近くで、昭和20年7月30日、宿舎に帰る途中の少年工6人が爆撃にあって死亡する悲劇が起きた引地川公園の「ふれあい広場」の一角。
ふれあい広場に建つ台湾亭        引地川公園ふれあい広場
入口から見た台湾亭

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