つる舞の里歴史資料館の概要

更新日:2024年04月17日

名称の由来

   資料館が建っているつきみ野の地は、かつて下鶴間村と呼ばれていました。この「鶴間」という地名の由来にはいくつかの伝説があります。源頼朝が富士の鷹狩りの帰途この地を通り、鶴が舞うのを見て「鶴舞の里」と名づけたというものや、源義経がこの地を通ったときに鶴が舞うのを見たというものです。

   義経がこの地を通ったのは、平氏討伐後、兄頼朝の怒りにふれ失意のうちに京都へ帰る途中で、頼朝あてに持参した財宝を鶴間の地に埋めたという伝説も残っています。

   この「鶴舞い」が転じて「鶴間」という地名になったともいわれており、資料館はこのような伝説にあやかって「つる舞の里歴史資料館」と名付けられました。

館内の様子

展示・情報コーナー

つる舞の里歴史資料館 企画展示コーナー

   年に数回、企画展示を行っています。また、配架している書籍を閲覧することができます。空間は農家の庭先をイメージしています。

展示室

   大和市域北部の歴史を中心に4章にわけて展示が構成されており、約7万年前から現代までの歴史がわかりやすく説明されています。

つる舞の里歴史資料館 常設展示室入口
つる舞の里歴史資料館 常設展示室奥

【1】氷河時代を生きる

   市域で人々が暮らし始めた旧石器時代のはじめ頃から縄文時代のはじめ頃までの石器や土器を展示しています。

   市域北部には、考古学上著名な月見野遺跡群をはじめとする重要な旧石器時代の遺跡群が広がっており、多くの石器類や日本最古級の土器が出土しています。

【2】古代・中世の村

   古墳時代の終わり頃の集落と墓、平安時代の集落、中世の城跡から出土した遺物を中心に展示しています。浅間神社西側横穴墓群から発見された貴重な「鳴り鏑(なりかぶら)」をはじめとする副葬品、下鶴間城山遺跡から発見された中世の完全な形の石臼、深見城の復元模型などが展示されています。

【3】下鶴間村と下鶴間宿

   江戸時代の下鶴間村と、矢倉沢往還という旧街道沿いの下鶴間宿について展示しています。下鶴間宿には渡辺崋山や伊能忠敬測量隊、幕末の英国の外交官アーネスト・サトウなども訪れており、それらの旅人の日記の内容なども紹介しています。

【4】小田急江ノ島線の開通と林間都市計画

   昭和4年の小田急江ノ島線の開通と同時に、沿線に住宅地・学園・総合スポーツグラウンド・ゴルフ場・映画撮影所・相撲力士養成所・遊園地・工業地帯を含む一大都市建設が開始されました。市域の「南林間都市」・「中央林間都市」に焦点をあて、「林間都市計画」の概要やそこで暮らした文人たちを紹介しています。

 

 

収蔵庫

つる舞の里歴史資料館 収蔵庫

   恒温恒湿の環境の中で資料が保管されています。外観は農家の土蔵をイメージしています。

施設データ

面積・構造

敷地面積:591.0平方メートル

延床面積:254.2平方メートル

展示室:56.6平方メートル

収蔵庫:42.9平方メートル

情報コーナー:67.0平方メートル

事務室兼学芸室:54.5平方メートル

構造:木造平屋建て(収蔵庫はRC造)

建設の経緯

平成8年9月30日:市民からの資料館建設を条件とした土地の負担付き寄付の採納

※阪神大震災により人命とともに多くの歴史資料が失われたことを知り、個人で資料を保管することには限界があると考え、資料館ができることにより、市内に点在する歴史資料の寄贈・寄託がなされることを希望された。

平成8年12月3日:土地の所有権移転

平成8年12月14日:建設実施設計委託(~平成9年3月13日)

平成9年1月15日:建物意匠および展示実施設計委託(~平成10年3月31日)

平成9年4月17日:文化財保護法に係る発掘調査(~平成9年6月30日)

平成9年8月12日:造成工事(~平成9年9月30日)

平成9年9月11日:建築・電気工事(~平成10年3月30日)・機械設備(~平成10年3月15日)

平成10年5月15日:展示委託(~平成10年8月10日)

平成10年8月22日:開館式典

平成10年8月23日:開館

この記事に関するお問合せ先

文化スポーツ部 文化振興課 市史・文化財係
大和市つる舞の里歴史資料館
〒242-0002 神奈川県大和市つきみ野7-3-2
電話:046-278-3633

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