台湾亭

更新日:2022年02月01日

太平洋戦争中、本市の寄宿舎で寝起きし、座間市栗原にあった高座海軍工廠で戦闘機「雷電」の生産に従事していた、台湾出身の元少年工達が工費を出し合い、上草柳のふれあいの森に建設されたもので、1997年10月本市に寄贈されました。

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(建物の形状等)

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一見、竜宮城の門を思わせる造りで、鉄筋コンクリート製の6角形をしており、高さは基壇部を含めると約10mになる。6本の柱やはり部は朱色、屋根かわらは濃緑色、天井部は黄色に塗られている。

(欄間の装飾等)

6面の欄間には絵柄陶器(1面に16枚)がはめ込まれている。欄間の下部の内外面は色鮮やかな山水・花鳥画で飾られている。また広さは約30平方メートルで、床には台湾の誇る観音石(かんのんせき)が使用され、石製の長いすが4基置かれている。

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(階 段)

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階段には海軍高座工廠のマークが彫られている。
このマークは碇と前面から見た飛行機とを組み合わせたもので、バッジ等にされたこのマークをつけている者は、今でも「高座帰り」と言われ敬われているとのことである。

(建設者)

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終戦後に帰国した元少年工でつくる「台湾高座会」(当時約3千人)と日本に残った元少年工の「在日高座会」(当時約40人)

(建設費)

 約2千万円で、両高座会員の寄付で賄われた。

(大 工)

 少年工の小隊長をしていた大工棟梁の葵水浜氏(=当時70歳)と息子の永吉氏 (=当時33歳)親子が中心となり、約4年間(実質1年3ヶ月だが気候やビザの関係で4年間を要した)をかけて完成にこぎつけた。

(建設のきっかけ)

  台湾から少年工が来日してから50年がたつ1993年9月、台湾高座会と日本高座会(在日高座会)の約1200人で50年ぶりの同窓会が開催され、その際に「第2の故郷の地に平和と友好のシンボルを」との話が出たのがきっかけ。

(建設場所)

 少年工達の寄宿舎があった近くで、昭和20年7月30日、宿舎に帰る途中の少年工6人が爆撃にあって死亡する悲劇が起きた引地川公園の「ふれあい広場」の一角。

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