平成30年度こども体験事業 事前研修~宿泊研修

更新日:2025年03月31日

今年度は、小学校5年生9名、6年生15名、中学生4名の合計28名が、市内の小中学校から集まりました。
東日本大震災から7年たち、今回参加する小学5年生は当時4歳です。
震災をあまり覚えていないけれど何が起こったのか知りたいという児童や、過去にこの事業に参加し、改めて被災地の現状を見に行きたいという参加者が何人も参加してくれました。
今年も8月7〜9日の3日間で、津波の被害が甚大であった岩手県陸前高田市を訪問しました。

事前研修 7月15日・7月29日

事前研修では、宿泊研修に向けて陸前高田市の地理や被災状況、地震や津波の基礎知識などを勉強しました。
また、起震車体験で震災当時の揺れを体感したり、青年実行委員から震災の体験談を聞いたりすることで、東日本大震災直後やその後の復興について学びながら、参加者1人ひとりが宿泊研修での目標を考えました。
現地で出会う人に質問したいことや、見学予定の震災遺構でどのような部分に注目するかなど、自分が宿泊研修で何を学んでくるのかを具体的に考え、3日間をより有意義にするための研修となりました。

活動内容

  • アイスブレイク(初めて会う参加者同士の交流活動)
  • こども体験事業についての説明
  • 陸前高田市について(講義)
  • 東日本大震災についてのDVD視聴
  • 青年実行委員による震災体験談
  • 個人目標の設定
  • 起震車体験
  • 陸前高田市長や現地の方々への質問検討
  • 民泊体験に向けての準備活動

参加者の感想

  • 東日本大震災のことをあまり知らなかったので、津波は大きな波が来ただけだと思っていたけど、震災の映像を見てどんなにひどい災害だったのかが分かった。実際に被災地に行って、震災のことや復興のことなどを学んできたい。
  • 「いま地震がきたら、最初にどう行動しますか」という質問に、私はすぐ答えられなかった。この研修を通して防災について学んで、自分の命を自分で守れるようになれたらいいと思う。
  • 大和市でも建物に亀裂が入ったり電車が止まって帰れなくなったと聞いて、大変だったんだなと思った。起震車体験では机の下にもぐって机の脚を掴んでいても、体が空中に浮かんで頭をぶつけたので痛かったし恐怖を感じた。陸前高田の人たちはもっと怖かったと思う。
  • 震災直後に大和市から被災地へ派遣された消防隊員の方にお話をうかがって、被災地の悲惨さが目に浮かぶようで涙が出そうだった。特に子どものおもちゃや家族の写真が道端に落ちていたと聞いたときに、もしも大和市で災害が起こったらどうなってしまうのか不安になった。
  • 大和市で地震が起こった場合、火災に警戒しなければいけないため、学校の校門などにスタンドパイプ式消火器の設置を進めていると消防署の方が教えてくれた。陸前高田市ではどのような対策をしているのか聞いたり、7年間でどのくらい復興したのか見てきたい。
教室内に設置された長机にそれぞれ座っている子供たちが座学に励んでいる写真
白色のヘルメットを被った2名の生徒が、机の下にもぐって地震の体験を行っている様子の写真
水色のカラフルなペイントがされている自動車の前で生徒たちが座り、奥に立っている男性の話しを聞いて右手を上げている写真
室内の広場で、子供たちが右手を上げて飛び跳ねている写真

宿泊研修 8月7〜9日 2泊3日

今年度の宿泊研修は台風の影響により、3日目の活動を繰り上げて早めに帰路につきました。
雨が降ったり止んだりの3日間でしたが、陸前高田市の皆さまの温かいお出迎えとご協力で、無事に宿泊研修を終えることができました。
現地で出会った方々は今も悲しみや苦しみを抱えながら、それでも前向きに頑張っている笑顔の素敵な方ばかりでした。
参加者はその強さや優しさから多くのことを感じ、考えたと思います。
陸前高田市の復興に向けた道のりは続きます。私たちが今、大和市でできることはなんでしょうか。
この3日間で見たこと、聞いたこと、感じたことを事後研修でまとめ、その成果を10月の「青少年健全育成大会」での発表などを通して、広く市民に伝えていきます。

現地での活動内容

  • 震災遺構見学(防潮堤、奇跡の一本松等)
  • 伝統行事「うごく七夕まつり」に川原祭組の一員として参加
  • 戸羽太 陸前高田市長の講話
  • 市内10箇所の受け入れ家庭に分かれて民泊体験

参加者の感想

  • 防潮堤に登ると、町からはほとんど見えなかった海が見えた。防潮堤の12.5メートルはとても高く感じたけど、陸前高田市にきた津波は15メートルとさらに高く、映像を見ただけではよく分からなかった津波の高さや威力、怖さが分かった。県の職員の方が写真や図を使ってわかりやすく防潮堤の仕組みや復興計画について教えてくれて、ただ見るだけではわからないことも詳しく学べた。
  • 僕たちが登った防潮堤と海の間に柵がたくさんあったので「あれは何ですか」と質問したら、高田松原を復活させるために植えた松を守るためのものだと教えてくれた。いつか松原が復活したら見に来たいと思った。防潮堤は津波を完全に防ぐものではなく、人々が逃げる時間を稼ぐためのものだと知って、やはり災害が起きたらすぐに逃げることがとても大切だと思った。
  • 奇跡の一本松は想像していたよりも大きくて、津波と一緒にあの大きさの木がたくさん流れてくるのはとても怖いと思った。その中でたった一本だけ残った奇跡の一本松は、震災でたくさんのものを失った人々の希望だったと思う。タピック45やユースホテルなどの震災遺構からは津波の威力や悲惨さが伝わってきて、「東日本大震災の教訓を後世に伝えたい」という思いを強く感じた。
  • うごく七夕まつりに参加して、ライトアップされた綺麗な山車の周りを飛び跳ねながら掛け声を叫んだり、祭組の方に山車の丸太の上に乗せてもらったりして、時間を忘れてしまうほど盛り上がった。地元の人たちはみんな笑顔で、震災を乗り越えて前向きに頑張ろうという気持ちが伝わってきた。陸前高田の伝統的なお祭りに楽しく参加できてとても嬉しかったので、もっと他の人にもこのお祭りを知ってほしいと思った。
  • 戸羽市長は復興計画のことや人口減少のこと、震災当時の辛かった思いまで教えてくれて、質問にも丁寧に答えてくれた。陸前高田市は障がいを持つ方々から意見を聞きながらまちづくりを進めている。「津波で全てなくなってしまった町だからこそ丸ごと作り変えることができる」と前向きに考えているのが特に印象に残った。
  • 民泊家庭の方に大船渡市立博物館に連れて行ってもらい、震災に関する展示を見た。陸前高田市以外の被災地のことも知ることができてよかった。箱根山の展望台から陸前高田の町も見ることができた。町は工事中の場所も多かったけれどかなり復興していて、7年前にこの町が壊滅的状況だったなんてとても思えなかった。
  • 民泊家庭の方が僕たちのために手作りの「ところてん」を用意しておいてくれて、初めて自分でてんつきをした。他にもとうもろこしを収穫したり、夕食の焼き肉は火おこしから自分たちで準備したりした。震災直後の写真を見せていただいて、貴重なお話も聞かせてもらった。お父さんは自治会長をしていたから、自分の家は無事だったけれど避難所に行って地域の人たちと協力しながら生活していたとおっしゃっていた。
  • 民泊家庭の方に「震災当時、何が怖かったですか」と質問したら、電気が止まってしまったから夜は暗闇の中で過ごしていて、時には泥棒や侵入者が出ることもあってとても怖かったとおっしゃっていた。そして「震災が起きてから、少し家が揺れるだけで「津波だ!」と反応してしまう」とも言っていて、あの時の揺れや津波が近づいてくる恐怖が今でも忘れられないんだなと思った。
  • 民泊家庭の方が、当時の本当に辛くて苦しい記憶を私たちに話してくれたことに感謝したい。私だったら思い出したくなくて話せないんじゃないかなと思った。それでも、震災が起きて失ったものだけじゃなくて、今私たちと出会えたことが幸せだと言ってくださって、本当に心に響いた。お母さんもお父さんも優しくて本当に良い人で、ほんでまず会でお別れするのが寂しくて泣きそうになった。また来年も陸前高田に行きたいと思った。
  • 仲間がいるから笑い合えるし、一緒に食事ができる。実際に陸前高田市の人々の暮らしや思いを知って、「当たり前の大切さ」を学んだ。家やお金も大切だけど、何よりも「家族」や「つながり」が一番大切なんだと改めて感じた。戸羽市長や震災遺構の説明をしてくれた方、祭組の方々、民泊家庭の方々などの貴重な時間をいただいて、たくさんの体験をさせていただいた宿泊研修だったので、感謝してこれからに役立てていこうと思った。
白色のヘルメットを被った子供たちが、斜めにそびえ立つ防波堤の見学を行っている写真
うごく七夕まつり会場の光っている山車の前に座っている子供たちの写真
教室内に立つ男性の話しを熱心に聞いている子供たちの写真
地元の女性から長方形の石碑の説明を受けている女の子たちの写真
エプロンを着用した子供たちが料理作り体験をしている写真
大きなこたつを挟んで、女性から話しを聞いている3名の女の子の写真
駐車場でスタッフと一緒に撮影した子供たちの集合写真

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こども部 こども青少年みらい課 こども青少年活動推進係
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