厚木基地の現在

更新日:2022年02月01日

~国際情勢の影響を受ける厚木基地~

 昭和20年の終戦後、連合国軍を構成する米軍に接収された厚木基地は、朝鮮戦争やベトナム戦争など、その後の国際情勢の影響を強く受け、常にその運用形態を変化させてきた。
  朝鮮戦争が勃発した昭和25年には、米陸軍から米海軍に移管、昭和46年には、基地の一部が海上自衛隊に移管され、日米共同管理体制が採られるようになった。これにより米海軍は「厚木航空施設」として、また、海上自衛隊は「厚木航空基地」として、日米共同使用の基地となっている。
  この間、米海軍の戦闘機のジェット化推進や、米空母ミッドウェーが横須賀を事実上の母港としたことなどにより、厚木基地周辺は甚大な騒音被害を受けるようになった。
  米第7艦隊の後方支援基地として現在に至る厚木基地は、航空機事故の発生や、NLPをはじめとする航空機騒音など諸問題を抱えたまま、現在もなお、国際情勢の影響を強く受ける「軍事基地」として存在している。

●1950年(昭和25年) 朝鮮戦争勃発

 昭和25年に勃発した朝鮮戦争は、米海軍機のジェット化を急速に促進した。こうしたジェット化の進行に伴い、航空機騒音は質的に変化し、基地周辺住民の生活に大きく関与することとなった。
  厚木基地にジェット機が配備された昭和30年代に入ると、航空機の大型化などに対処するため、滑走路の延長工事や嵩上げ工事が行われ、より高性能な大型ジェット機が配備されることとなり、基地周辺上空では昼夜を分かたず訓練が行われるようになった。

●1964年(昭和39年) 大和市上草柳に米軍機が墜落、8人が死傷

 昭和39年9月8日、米軍のF-8Cクルセイダー戦闘機が、離陸直後、エンジン故障のため、滑走路北側約1000m程の大和市上草柳の舘野鉄工所に激突、広範囲にわたり機体などが飛散する大惨事が発生した。
 この事故で同鉄工所の工場、住居が全焼し工場関係者ら5名が死亡、3名が負傷した。

●1965年当時の厚木基地(提供:米海軍厚木航空施設)

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●1971年(昭和46年) 日米共同使用・海上自衛隊移駐

  昭和40年代に入ると、ベトナム戦争の激化に伴い、米軍は飛行部隊を他の基地に移駐するなど、海外基地の縮小・集約を計画する。これに伴い、昭和46年には、日米合同委員会で厚木飛行場の一部を自衛隊に移管することが合意された。
  海上自衛隊が飛行場の維持運営にあたることとなり、千葉県下総基地から第4航空群などが移駐、本格的な共同使用が開始される。

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●1973年(昭和48年) 空母ミッドウェー横須賀に入港~事実上の母港化

昭和48年10月5日、米空母ミッドウェーが横須賀に初入港し、以来、同港を事実上の母港とした。
  このため、空母入港時には、厚木基地に艦載機が集中して飛来するようになり、再び基地周辺の騒音が激しくなった。
  空母はその後、平成3年9月からインディペンデンスに、さらに平成10年8月からはキティホークに交替しているが、依然として横須賀を母港とし、艦載機は現在も厚木基地へ飛来している。
  横須賀が母港化された当初、艦載機による夜間離着陸訓練(NLP)は、青森県三沢基地、山口県岩国基地で行われていたが、その後厚木基地でも行われるようになる。

Photo:米空母インディペンデンス

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●1977年(昭和52年) 横浜市緑区に米軍機が墜落、住民2人が死亡

昭和52年9月27日、厚木基地を離陸し、洋上の空母ミッドウェーに向かった米軍のRF-4ファントムジェット偵察機が、横浜市荏田町墜落、機体とともに燃料が飛散し、炎上するという大事故が発生した。
  この事故により2名が死亡、7名が負傷し、ほかに家屋の全焼2棟などの被害が生じた。

●1982年(昭和57年) 厚木基地で空母ミッドウェー艦載機によるNLPがはじまる

米空母艦載機によるNLPは、三沢基地、岩国基地で行われていたが、昭和57年以降、厚木基地でも行われるようになり、厚木基地周辺の騒音問題は一層深刻なものとなった。
  NLPは、飛行場の滑走路よりはるかに短い空母に着艦するための訓練で、通常、空母の出港前に必ず行われ、日没から深夜まで繰り返される。
  平成5年には、この訓練のための施設が日本政府によって小笠原諸島の硫黄島に建設され、米軍に提供されているが、全ての訓練の移転には至らず、現在もその一部が厚木基地など、本土の基地で行われている。

Photo:厚木基地におけるNLPの光跡
 

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Photo:硫黄島

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●1988年(昭和63年) 基地開放で艦載機によるデモンストレーションフライトがはじまる

日米友好親善を目的とした厚木基地の基地開放は昭和30年頃から行われており、昭和63年頃からは、デモンストレーションフライト(展示飛行)が実施されるようになった。米軍側は艦載機の性能、パイロットの技量を見せ、米軍の任務を理解してもらう機会であるとしているが、通常と異なる急旋回や急上昇、編隊飛行などが行われる展示飛行は、激しい騒音だけでなく、墜落など、事故の不安を周辺住民に与えてきた。

Photo:平成12年7月の基地開放におけるデモフライトの様子。

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●2000年~現在(平成12年~)米海軍厚木基地との交流中断と再開~今日的課題が解決へ

平成12年は、基地開放日のデモフライトを含め、周辺住民にとっては訓練などの騒音被害が近年になく大きかったことから、大和市では、米海軍厚木基地との文化的交流を中断するなど、強い姿勢で抗議した。
  その後、平成13年2月のNLPは厚木基地では行われず、全面的に硫黄島で実施され、さらに同年7月の基地開放でのデモフライトが中止決定されたことなどを受け、7月2日、大和市は米海軍厚木基地との文化的交流を再開した。

平成14年2月には、日米両国政府間において、NLPに関する了解事項が発表され、基地周辺住民に最大限配慮し、できる限り硫黄島で実施する旨の確認がなされた。さらに同年5月には、厚木基地における基地開放時のデモフライトについて、今後将来にわたって行わないとの発表がなされ、本市基地対策の「今日的課題」として取り組んできたNLPとデモフライトという2つの大きな課題については、一定の解決を見るまでに至った。

●現在の厚木基地

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